大学生ζの経済教室3.0

日々の生活に潜む経済ネタ等。半分雑談。

日本もチップ制度を導入すべきと考えるワケ

チップ制度の意義

突然ですが、チップ制度、ご存知ですか。

 

そう、アメリカへ旅行に行くと支払わされる、アレです。

 

日本人の多くは、好印象を抱いていないのではないでしょうか。

 

“なんで明示された定価があるのに、それに加えてさらに十数パーセントものお金を支払わなくてはいけないのか” 、と。

 

ごもっともな意見です。

 

 

そもそもチップ制度って、何のためにあるのでしょうか。 

 

Wikipediaによると ”良いサービスをしてくれたことに対する心づけ” とのことです。

 

 

もちろんそのような側面はあるでしょうが、やはり、最低賃金かそれに準じる時給で働く労働者への賃金補填という面があるということが重要なポイントであると思います。

 

例えばレストランの店員、ホテルの清掃員――彼らは、ほとんどが非正規雇用であり、その賃金も非常に安く抑えられています。

 

そして彼らにとってのチップは、そのまま生活を左右する大切な収入源です。

 

だからこそ心地の良いサービスをしようという意識の底上げにもつながります。それをお金で買ってくれる人がいるからです。

 

 

日本社会の疲弊

翻って日本ではどうでしょうか。

 

「善意が買い叩かれている」、「サービスは無料」、そんな社会です。

 

もちろん、そこには良い面もあるでしょう。

 

 

善意が全て金銭と絡むなんて、そんな社会こそどうかと思いますし、

いわゆる ”道徳心” を嫌う方もいるようですが、個人的には集団社会を構成する上で不可欠なものと思います。

 

 

もしチップ制度が存在したら...

しかし、もし仮にチップ制度があったら、と考えてみましょう。

 

以下の記事から推測するに、ヤマト運輸の配達員の1日あたりの配達個数は、およそ150~200個。

 

 

ヤマト運輸は宅急便の料金を引き上げました(*1)が、仮に値上げを行わないとして、その代わりに受け取りの際に皆が50円をチップとして支払うようにしたらどうでしょうか。

 

(*1) 一例として東京→大阪の60サイズ通常運賃は800円から140円値上げし940円に

 

単純計算で1日当たり7500円~10000円、1か月にして15~20万円が直接配達員の手に入ることになります。

 

 

チップ制度の負の側面

もちろん、チップがすべてを解決するわけではありません。

 

アメリカでは、チップをもらえる仕事はその分があらかじめ考慮された低い賃金が設定されるが故に、

逆に生活が、天候にさえ左右されるような(*2)事態も起きているようです。

 

(*2) 天候が悪いと客足は伸び悩みますから

 

 

また、チップをもらえる職ともらえない職の格差、

 

例えば同じレストランで働くにしてもチップをもらえるのはサービスをする人であってコックはもらえない、

 

などといった問題もあります。

 

 

そのため、チップ制度を廃止して正常な(定額の)賃金を支給しようという動きも広まりつつあるのが現実です。

 

 

 

現代になじむ形のチップ制度とは

そもそも究極に資本主義を突き詰めれば、

レストランの従業員は労働市場の需給によって設定された賃金(おそらく最低賃金とそう変わらない)のみを受け取るべきで、

 

客がそれ以上のお金を支払うのであれば、

一度会社に収めるべきだということになるでしょう。

 

 

そこを、善意での対価という形で直接現金でやり取りをしようという、

ある意味かなり古い仕組みが今日まで残ったのが欧米のチップ制度です。

 

税金の計算も複雑になり、時代に即さなくなっているという面は否めません。

 

 

だから、 ”日本もチップ制度を必ず導入すべき” と言うと多少語弊があるのです。

 

少なくとも欧米型の、上述したような問題も山積みのチップ制度をそのまま今から導入するのはかなり厳しいと言わざるを得ないと思います。

 

 

しかし、チップ制度が担ってきた本来の役目、

 

すなわち低賃金の労働者への賃金補填、また、良いサービスや善意にお金で感謝を表現できるシステムは、

 

今の疲弊した社会の問題点、すなわち格差の拡大や、ドメスティックな単純労働者への賃金下押し圧力(しかし彼らの存在は絶対に必要である)を解消するのにかなり適合性の高いものであるはずで、

 

そのまま葬り去るには惜しいものだなぁと思うわけです。

なぜ食品は毎年一方的に値上がりするのか?

繰り返される食品の値上げ

値上げの春――この季節、毎年のようにこんなフレーズがメディアを飾ります。

 

いわゆる ”実質値上げ” とも言われる内容量の減少、値上げ(時には両方!)はダイレクトに家計へ響くこともあり、食品会社への不満の声も多数聞こえてきます。

 

苦しいときに値上げをするのは仕方がないけど、値下げしろよ、とか。

 

 

 

 

このような意見が出るのは、必然でしょう。

 

安倍首相の答弁がちょっとした物議を醸したように、ジニ係数が上昇しているというデータの存在も記憶に新しいところです。

 

では、なぜこのようなことになってしまうのでしょうか。

 

 

"失われた30年"の意味

それは、日本がデフレ社会(厳密には消費者物価指数CPIの上がらない社会)を脱することができないからではないかと思います。

 

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(※ 世界経済のネタ帳より引用)

 

日本のCPIは、1990年頃よりかれこれ30年近くも横ばいです。

 

いわゆる、失われた云十年、というヤツです。

 

 

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 (※世界経済のネタ帳より引用)

 

賃金も同様です。

 

 

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(※世界経済のネタ帳より引用)

 

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(※世界経済のネタ帳より引用)

 

その間に中国は40倍、シンガポールは4倍近くも成長しているわけですから、当然相対的に貧しくなるわけです。

 

 

日本のデフレとグローバル化

デフレ社会。

 

食品は値上がりしているのに、です。

 

ここでポイントとなるのが、値上がりしている食品というのは

 ”大手食品メーカーもしくは大手外食チェーンの商品の価格” であって、国産の野菜や卵の値段ではない、ということです。

 

 

大手食品メーカーや大手外食チェーンは、海外からの輸入品を使用したり、システムや人材面でもグローバルな競争環境の中で企業活動を営んでいます。

 

つまり、外国ではどんどんインフレが進んでいくのだから、仕入れ値は基本的には永遠と値上がりし続けるわけです。

 

そう考えると、冒頭で述べた『苦しいときに値上げをするのは仕方がないけど、値下げしろよ』という意見は、

いかにドメスティックな感覚で、無謀なことかに気付くはずです。

 

 

昔に比べて自動車が値上がりして、今や軽自動車すら手が届かなくなった、という意見もよく目にしますが、これも同じ原理です。

 

自動車メーカーにとっては仕入れ値も上がっていくし、人件費だって、人材獲得はグローバルな競争でどんどん上がっていくわけですから、

グローバル企業の商品の販売価格は世界基準で上がっていくのは必然です。

 

 

一例ですが、食品大手味の素の有価証券報告書によると、2017年度の従業員3459人の平均年収は952万円。

しかも同社の所定労働時間は7時間15分と短く、更なる労働時間の短縮にも意欲的です。

 

 

“大企業の一部の社員が高給を独占して、末端労働者の給料は上がらない” という問題も、結局はここに起因するのではないかと思うのです。

 

だって、例えば保育士やBtoCの国内運送業にグローバルな人材獲得競争はないですから。

 

別に保育士をバカにしているわけでも、ラクな仕事だと言っているわけでもありません。

 

あくまでドメスティックな職業に賃上げ圧力が加わらないのは、

日本のデフレという社会構造が変化しない限り必然であるということです。

 

 

そう考えると、タイトルは『なぜグローバル化が必要なのか?』という普遍的な問いに読み替えることもできるでしょう。

 

 

グローバル化は悪なのか

いっそのこと ”鎖国をしてしまえ” という発想になるかもしれません。

 

だって、これだけ格差が広がって多くの庶民の生活が苦しくなってきているのは、グローバル化のせいなんだろう、と。

 

 

ある意味でそれは正論です。

 

おそらく、いわゆる “古き良き昔の日本” と言われるような、穏やかな1億総中流の社会を取り戻せるかもしれません。

 

しかし、それは必ずしも良いこととは言えません。

 

あえて何故かを説明する必要はないでしょう。

 

要するに共産主義ですよね。

 

それが現代の社会になじまないというのは、1億総中流の平和な社会が再び訪れることを夢見る人も含めて、誰しもが理解しています。

 

そして、我々がグローバル化の荒波の中で生まれた様々な利便性を享受しているというのも、また事実です。

 

 

解決策は...?

こう考えると、なかなか難しい問題です。

 

しかし一つ分かっているのは、少なくともこのグローバルな資本主義社会の歯車を止めることは、もはや誰にも不可能であるということ。

 

ある意味、政治が不満のはけ口になるというのは仕方のないことではありますが、

それは、安倍政権の問題でも、もちろん民主党政権の問題でもないのです。

 

 

これからも格差は拡大していくし、このままいけば日本のデフレが止まることもないでしょう。

 

個人的に一番恐ろしいのが、いま世界を牽引しているアジアの新興国で少子高齢化が始まり、世界中が日本のように、もうどうにもならなくなること。

 

 

どうなっていくのでしょうか。

 

しかしあまり遠い未来でもない気もします。

 

逆に考えれば、日本はその社会を引っ張ることのできるような、モデル国家となり得る可能性を秘めているということもできますが……

共産党が当選する沖縄の現実

今回は、政治の話題についてです。

中でもかなりミクロな沖縄の現実について、というテーマ。

先日沖縄を旅行して、考えたことをブログにしたいと思います。

 

東京など本土で暮らしている我々には、沖縄の政治というと、共産党が唯一小選挙区で議席を獲得しているということもあり、"左翼"だとか、"反基地運動"というイメージを持つ方が多いでしょう。

中には"中国に占領されたいのか"などといった過激な意見も聞こえてきます。

 

 

沖縄の地理的関係

この話題を考えるにあたって、まずは沖縄の地理的関係を見てみましょう。

 

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実は、沖縄と一口に言っても縦長ですから、那覇空港のある那覇市など中心部は、かなり南に偏っています。

大手高級ホテルも那覇市の中心部から、北谷町までのあたりに集中しています。

 

ちなみに、美ら海水族館は本部町にあり、一般道で2時間、高速でも1時間以上かかる辺鄙な場所に位置しており、

その道中は、以下のように、きれいな砂浜や崖のある海がただひたすらに広がっています。

 

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【本部町 エメラルドビーチ】

 

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【恩納村 万座毛(景勝地)】

 

でもって、平和記念公園やひめゆりの塔があるのは南端の糸満市です。

 

 

 沖縄の現実

一番伝えたいのは何かといえば、沖縄は、意外と平和なんですね。

空も、おそらく演習や有事でもない限りそこまで気になるほど騒々しくもない。(離発着する空港の至近は除く)

海も、平和できれいな海岸線が永遠と続いています。

 

米軍基地がほとんどの面積を占めているのでは?と思った方もいるでしょう。

しかし、米軍の飛行場は羽田や関空のような海を埋め立てて造った空港ではなく人気のない内陸がメインですし、

大きな面積を占めているのは事実でも、以下の写真で赤く丸を付けたような、内陸部の演習林などがかなりの比重を占めているようで、想像していたほどの存在感はありませんでした。

 

予想以上に、“ごく普通の”日本の景色がそこには広がっているわけです。

 

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だからといって気になる点がない訳ではありません。

例えば、米軍のナンバーのみを付けて走っている車が散見されるということ。

また、米軍人による事件がたびたび起きるというのも事実です。

 

このような現実を考えた時、左翼だとか中国がどうというのはかなりレベルの低い議論であるということに気づくはずです。

 

つまり、ごく当たり前の日本人として、ごく普通の日常を過ごしているからこそ、米軍ナンバーで堂々と公道を走っている車を見れば、沖縄の歴史も考えれば否が応でも占領されているような気持ちにはなるでしょうし、

確率的に国籍による犯罪率に差がないとしても、米国人によって身内が被害を受ければ、日本人として嫌悪感を抱くのは当たり前の感情です。

 

 

同様に、「米軍機が嫌なのであれば那覇空港の民間機も追い出せ」というのも、そういう問題ではないのです。

先述した通り、騒音自体がそこまで大きな問題ではないのですから。

 

 

もっとも、それらの反対団体が本土や他国から、しかも組織的に動員されて活動をしているという状況や、問題の本質ではないことを非難している(からこそネット上では反論も多々見られる)状況は非難されて然るべきです。

 

しかし、それらと“現実問題として共産党が当選するから沖縄の人はおかしい”、という理論は別のものです。

後者には理解すべき要素があり、また同じ日本人として理解しなくてはならないのです。

 

 

 平和記念公園とひめゆりの塔

先ほど、平和記念公園やひめゆりの塔がある糸満市は沖縄の南端だと記述しました。

これ、何故だかご存知ですか?

 

実は、第二次世界大戦中の沖縄の地上戦で、米兵に徐々に南方へと追い詰められた日本兵の多くは南端の崖から海へと飛び込んだか、そのまま殺されるのを待つ状態であったようで、

ひめゆりの塔も同様に、動員された看護学生等が、日本兵に合わせて南方へと移動していき、最終的には突如解散命令が下され、逃げまどい追い詰められる中多くの命が失われた、という悲惨な歴史を物語っているものなのです。

 

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【ひめゆりの塔 看板①】

 

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【ひめゆりの塔 看板②】

 

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【ひめゆりの塔と防空壕、陸軍病院跡地の碑】

  

平和記念公園には、多くの戦死者の名前が刻まれた石碑が放射状に並んでおり、また驚いたのが、おそらく沖縄の地上戦に全国各地から兵士が動員されたからでしょうか、各都道府県の慰霊の墓石のようなものが一列に、永遠並んでいました。

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【平和の礎と永遠広がる石碑】

 

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【名前は2017年も追加されている】

 

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【島の方角を示す】

 

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【青森県】

 

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【富山県 立山の塔】

 

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【平和記念公園の端】

 

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【南端海岸線】

 

 

このような場所をすぐそばに抱えて生活し、まさに今も米軍と隣り合わせどころか、1972年までそもそも日本ですらなかった、という複雑な歴史を抱えているのが沖縄の現実です。

 

別に私は、だから共産党は素晴らしい、などと言いたいわけではありません。

 

安全保障体制を考えた時、まさに第二次世界大戦で多くの日本人が死に追いやられたあの沖縄の南端から、逆に中国軍が上陸してくるような未来がないとも言えないこのご時世、沖縄に強力な米軍基地を置くのは仕方のないことであるというのは事実ですから。

だからこそ強固な日米同盟を軸とする自民党がマクロで見れば選挙では圧勝しています。

 

しかし、沖縄県民の民意もまた、直視しなければならない現実であるということです。

 

政治の話に限ったことではありませんが、それぞれの地域や人々にはそれぞれの事情があるのに、それがネット上などでは見せかけの正論によって排除されるようなケースが特に最近多々見られます。正論は明らかに右にあります。

それを左寄りの人々が、ナチスだとか騒ぎ、これまた拡散されています。

 

いずれにしても、そこには本来の地域や人々の事情は無視され、争いだけが残っています。

なんと無意味な光景でしょうか!

 

そのような意味では、本土から送り込まれた組織的活動家も、所詮不満のはけ口として人気を集め、仕事として議席を獲得している共産党も、これまた本来の沖縄県民の気持ちとかけ離れたものであるのかもしれませんね。。

 

 

現実と机上の空論

以前、毎日のように反日デモが報じられ、イオンや日系自動車販売店が次々に破壊されていた時に上海へ家族旅行で行ったことがあります。

 

その際、現地の中国人何人かに声をかけられましたが、その内容は「最近は反日ブームのようになっているが、我々一般市民の多くは日本が嫌いでもなければ破壊しようとも思わない。訪問してくれてありがとう。」というものでした。

 

実際に声をかけてきた人が複数人いたというのは、凄いことではないでしょうか。

 

 

何が言いたいのかといえば、実際に訪れたり会ったりしてみなくては、想いは伝わらない、ということです。

 

ネットや報道で盛り上がっているだけでは、所詮何も伝わってこないのです。

(報道機関が果たすべき役割を果たせていないという側面もありますが。)

 

空港へ帰る前、平和記念公園とひめゆりの塔に1時間程度立ち寄っただけですが、そんなことを考えました。

医学部受験勉強法と合格体験記、公開!〜医科歯科編

友達から、彼らが仲介を行っている家庭教師募集パンフレットに載せるための合格体験記を書いてくれという依頼を受けました。

 

個人的には、家庭教師など全くやる気がないのですが、資料としてそれでも一覧に載せたいから書いてくれ、としつこく頼まれたので送ることにしました。

 

3000字近くに渡ったこともあり、せっかくですのでブログの方にも載せることとします。

なお、経済は全く関係ありません。ご了承ください。。

 

ウソは一つも書いておりませんので、悪しからず。申し訳程度に”*”は多用しています。

 

 

目次

  

 

基本データ

大学 東京医科歯科大学医学部

高校 **高校

地域 **区

 

センター                762点

センター科目          物理、化学、地理

 

その他合格        **大学 ***大学

 

前期試験得点

数学90点 物理30点 化学35点 英語75点    計382.4点

 

模試

全統記述模試             E判定

全統医進模試          E判定

第3回駿台全国模試  E判定

 

 

<受験全般でうまくいったこと、いかなかったこと、勉強法>

うまくいったこと:合格したこと。

 

うまくいかなかったこと:その他全て。

 

勉強法:基本は受験勉強とは関係なく、中高の授業や定期試験で高得点を取ることを意識していました。その他は、各教科一冊程度参考書を繰り返し読み、過去問に取り組みました。

 

 

<物理の勉強法>

本質が理解できていないと全く得点が取れないと言われている科目で、中学受験の国語にも似ているような気がします。

 

実際、僕は高3の時に実施された高校オリジナルの東大レベル模試で、3回いずれも3点を取ってしまい、医科歯科の過去問も一桁の点数しかとったことがないなど、全体の足を大きく引っ張っている科目でした。

 

10月には重要問題集に手を出すも1ページ目で撤退、意を決して名門の森に取り組むも、正答率は2割を切っていました。

12月には諦めるという決断をし、「物理は5点でも合格できる」を合言葉に他の科目の学習に励みました。

 

センターは過去問をやり込み75点を取れましたが、さすがに危機感を感じて二次試験1週間前に丸善丸の内店に出向き、『入試の核心』という参考書を購入しました。ごく普通の基礎問題を中心とした、様々な大学の過去問の引用問題集なのですが、解説の充実もあり非常に解き進めやすいもので、二次試験前日に医科歯科の過去問を3年分解いてみたところ、なんと34点、38点、42点を叩き出すことができました。(60点満点)

 

 

<化学の勉強法>

基本的には有機も無機も暗記が命です。後述の通り、重要問題集の解説部分に暗記事項は良くまとまっているのでそれを参考に、8月に1週間かけてルーズリーフ20ページ程度のオリジナルの暗記事項まとめを作成。手間はかかりますが、非常に役立ちました。後はアウトプットの方法と計算だけですので、演習を積めば積むほど比較的簡単に成績は上がると思います。

 

有機は、某予備校にも出講している先生が高校におり(なお毎回30分程度遅刻してくる)、その先生のオリジナル演習問題集が非常に役に立ちました。従って、有機に関しては、重問ではなくそちらに大きく依存しました。

 

 

<数学の勉強法>

高1の冬の時点でセンター試験は200点満点を取れる程度に仕上がっていました。やはりこれも、中1の初回の授業から「集合と論理」(Wikipedia参照)を扱うという意味不明な学校のカリキュラムに全面的に信頼を寄せた結果でありましょう。

とはいえ、極端に難しい問題を解ける必要はありません。基本がしっかりしていれば、大抵の問題はパターンを抑えていれば解ける問題と気づくはずです。後述の通り、高2で『1対1対応』と高3の授業で『システム数学』、あとは過去問に取り組み、本番でも90点程度の得点ができました。

 

 

<英語の勉強法>

やはり、中学3学年で授業中に扱ったSirius vol.1、Sirius vol.2、PIXIS vol.3の三冊で文法の基礎を抑えたことが一番大切だったと思います。また、高校ではサイエンスや人文系の長文記事を読み進めていくという授業で、医科歯科の英語には大きく役に立ったと思っています。あとは、過去問程度ですかね。。つまり、学校の授業にまじめに取り組みましょう。出遅れた人も、所詮言語です。基本の文法事項+長文読解で全てが完結するのではないでしょうか。

 

 

<国語・社会の勉強法>

古文漢文も、所詮言語ですから、もちろん活用などの基礎知識は踏まえた上で、様々な文献に触れつつ読解していくという形で演習を積めばよいのではないかと思います。僕は、学校の授業とセンター過去問のみの対処です。100~170点前後と幅はあるものの、徐々に点数自体は上がっていくのではないでしょうか。特に厳しいセンター利用の国立大学等を狙っているわけでもなければ、最低ラインとして150点強取れれば大きな問題はないと思います。

地理に関しては個人的にデータバンクや地図帳を見るのが好きで、毎日のように眺めていました。やはり暗記科目ですので、好きな科目を好きなように暗記すればよいと思います。よくまとまっている参考書を一冊購入するのも良いでしょう。

 

 

<受験生にアドバイス、入試を終えて思うこと>

こうして振り返ってみると、意外にも中高の授業が役に立っていたことに気づかされます。特に、いわゆる“自称進学校”程度であれば学校の勉強にきちんと取り組む、定期試験での評点を重視する、というリズムをきちんと作っておくことが何よりも大切かと思います。

 

あとは、心のゆとりです。受験生はややもすると焦りがちですが、全くその必要はありません。基本を着実に、あきらめずに最後まで取り組むことです。僕なんて、学校の勉強以外には以下で紹介する”おすすめの参考書”、にしか取り組んでいません。

 

具体的には、模試でE判定をとっても、「実際の試験にあんなひねくれた応用問題が出るはずがない。傾向が全く異なるのだからこそ、この模試でA判定を取っても落ちる人がいる。自分ではなく予備校の作る模試にこそE判定をつけてやろう」と思うこと。

 

二次試験本番1週間前になって過去問を解いて物理が3点しか取れなくても、物理の成績を上げるのではなく「3点で合格するには他の科目は何点を取ればよいのだろうか」と逆転の発想ができること。そして、勉強ではなく丸善に新たな参考書を探しに行く余裕を持つこと。

 

そして、ニュースを見ているせいで明らかに二次試験の集合時間に間に合わない時刻になってしまっても、「まだ試験が始まるわけではないから大丈夫。天気予報も見てから家を出よう」と思えるゆとりを持つこと。

 

これだけのメンタルがあれば、合格は容易いんじゃないですか(適当)

 

 

<おすすめの参考書>

数学

1対1対応

 大数シリーズにしてはかなり簡単な部類に入る参考書かと思います。高2で取り組みました。方針が分かれば計算は省略して解説を見て確認、方針が分からない問題(半分程度)は、すぐに解説を読み進めていきました。この手法の何が良いかというと、電車の中ですべて完結します(笑)

 

システム数学

 様々な大学の過去問集になっています。分野別に整理されているいわゆる“頻出問題集”で、一通り頭に入っていれば、大抵の大学の合格最低ラインはクリアできるものと思われます。高3の数学の授業で週5コマ×毎回2題ずつ取り組みました。

 

 

物理

名門の森

 重要問題集が物理に関しては評判が良くないこともありこちらを選択。が、全く解けませんでした。

 

入試の核心

 1週間にして過去問の得点を3点から38点に上げてくれた魔法の書。一見では名門の森と違いはないように見えますが、こちらは問題の選出も解説も、かなり良いのが解きながら実感できました。なんとamazonのレビューでも、7件中全てが☆5つ。Z会様様です。

 

 

化学

重要問題集

 安定してかなり高い評価を得ている問題集と思います。化学は暗記によるところも多いですが、暗記に関しても説明部分にうまくまとまっており頼れます。僕はまず1週間程度かけてルーズリーフ20ページにまとめ、受験本番まで持ち歩いていました。後は解くだけ。2周もすれば化学はほぼマスターできます。

 

 

英語

鉄壁

 皆が使っているので。語彙が豊富でおすすめです。クラスに一人は“鉄壁マニア”がいたりします。

 

 

<自己PR> 

大学受験で一番大切なのは、ペース配分と精神的面でのサポートです。これらの全面的なサポートに主軸を据えつつ、分からない問題があれば分かりやすく説明できるよう心掛けます。

 

成績を上げる保証、に軸足を置かれる方はご遠慮ください。

というより、全面的に家庭教師に頼ろうとしている時点で東大や医学部への合格は厳しいものと言わざるを得ないと思います。

 

それでは僕の収入の極大化にご協力いただける方、是非ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

*なお、最後の2段落は削除して送信しました。まだ返事は来ていません。

ホリエモンの炎上問題を考える

ホリエモンは炎上する

突然ですが、ホリエモン、ご存知ですか。

 

「知ってるわ。」

 

そんな言葉が返ってきそうです。

では、彼のイメージはどのようなものでしょうか。

 

刑務所に入っていた人?

 

それとも人相の悪い人?

 

いずれにせよ、あまり良い評判は聞こえてきません。。

私は、いつも炎上している人というイメージです(笑)

 

先日は”Jアラートうるさい”と呟いて炎上し、つい数日前も”保育士は誰にでもできる”と呟いて炎上していました。

 

 

”保育士は誰にでもできる”のか

以下が問題のツイートです。

 

 

案の定、と言うべきか、「保育士は誰にでもできる仕事ではない」「おまえには保育はできないだろう」という批判のコメントが殺到しています。

 

もちろん、ある意味でそのような批判は正しいのですが、これを言い始めてしまうと「誰にでもできる仕事」というのはそもそも存在するのか、評価に値しない仕事とは何なのか、という議論になってしまいます。

 

保育士さんが日本全体の子育てを支え、社会を支えているのは事実です。

大変な仕事でしょうし、敬意をもって接さなくてはなりません。

 

 

ホリエモンの言っていることは極論であり、感情論が抜けているために批判の余地はいつも全開なのですが(笑)、しかし、概ね事実としては認めなくてはならないと思います。

 

保育士は労働集約型の産業ですし、子育て自体が全くできないという人はほとんどいないでしょうから、賃金に下押し圧力がかかるのは必然です。

 

あるいは政府がもっと強く介入して賃金を上げるべきかどうかという議論はあるにせよ、市場経済に一定程度任せた結果として現状の賃金に落ち着いているという事実は、目を逸らすことのできない現実です。

 

 

なにより、保育士の給与を上げようと思えば、税金か保育料の引き上げで賄うしかないわけです。

 

ホリエモンを批判する人々は、それに賛成なのでしょうか?

もしくは、極論ですが、保育士へ直接お金を渡しに行くのでしょうか?

 

そうでないとしたら、偽善者以外の何物でもありません。

 

 

つまり、ホリエモンの言葉が炎上する原因は、”感情論を抜きに物事を語っている”という一点のみにある訳です。

 

発言自体は正論であるからこそ、擁護する人も多数いますし、毎回賛否両論巻き起こるのでしょう。

 

 

ホリエモンと感情論者

確かに、様々な議論を進める上において”感情論”というのもかなり重要なファクターを占めるのは事実です。

 

本気で何も感情がないのであれば、それは非難に値するかもしれません。もっと人の気持ちを考えろ、と。

 

しかし、ホリエモンはそうではないのではないか、と私は思います。

 

 

そう考えさせるきっかけとなったのが、『橋下羽鳥の番組』に出演していた時の彼の言葉。

 

 

ーー僕は、経済的に見れば、地方創生なんて無理筋だと思っている。

例えば、

『僕は明日から無人島に移住します。だから電気もガスも水道も、僕一人の為に税金で整備してください。公共バスもよろしく。』

って言ったら、許されますか?

 

お前の勝手なんだから自分でやれ、と言われるのが落ちでしょう。

つまり、郷土愛だとかなんだとか言って地方に住む人のために都会の税金を回すなんて、それほど持続不可能なことはないんですよ。

だから昔、地方の選挙区で選挙に出たんです。


公約は、『ここに住むのをやめて、皆で都会へ移住しましょう。こんな自治体に金なんて回せません。』

当然落選しましたよ。

当選するわけないじゃありませんか。ーー

 

 

もっとも、この発言をどのようにとらえるかは個人によると思います。

 

しかし、少なくとも私は、感情論とか、一般論とかいうものを理解した上で、ホリエモンなりの正論を述べているに過ぎないのだ、と理解しましたし、実際そこまで無理な解釈でもないと思います。

 

選挙に出て、惨敗したという事実を受け入れていますから。 

 

 

ホリエモンの立場

ビジネスをするというのは、トップに立つというのは、感情論を分かっていても無視しなければならないということでもある訳です。

 

何を隠そう私自身、小金稼ぎの真似事をやってみたことがあります。

 

法律を順守した、そして少なくとも客観的に見ればWin-Winの関係の下に収益が成立するものでした。

 

しかし、いざやってみると罪悪感のようなものは拭えず、短期間で辞めてしまいました。

 

 

ホリエモンは、逮捕もされながら(もちろんその事実は褒められたものではありませんが)今なお様々な事業に携わっています。

 

このような背景を考えれば、ホリエモンの主張が感情を抜きにした極論になることには理解ができるのではないでしょうか。

 

そしておそらくは、ホリエモン自身も全て分かった上で主張しているのだと思います。

 

 

感情論を理解した上で極論の主張をすることと、本当に何も考えずに主張すること。

 

文面だけを見ていては到底その違いなど理解などできませんが、そこには非常に大きな隔たりがあります。

 

もちろん、自分と違う意見を述べているから反論する、炎上させる。大いに結構だと思います。

 

しかし、所詮は一個人の意見です。

ましてや、自分が正義だ、などと言っているわけでもありません。

 

もう少し余裕をもって(ホリエモンに限らずですが)人の主張に接してみることも必要ではないかーー。

 

今回の一連の炎上騒動を見て、そんなことを考えました。

 

 

古舘伊知郎 V.S. 堀江貴文

ホリエモンと言えば、個人的にかなり印象に残っている対談があります。

 

報道ステーションの前キャスター、古舘伊知郎さんとの対談です。

ホリエモンは理想論に終始している一方、古舘さんは感情論に終始していて、非常に面白い対談に仕上がっています。

 

多少長いのですが、ぜひ興味があれば閲覧してみてください。。